園長・理事長だより H30年11月
素敵な運動会をありがとうございました
先月行われた第70回秋のさわやか運動会には、平日開催にもかかわらず、ご理解とご協力のもと保護者様並びにご祖父母様にご参観いただき、沢山のご声援と拍手をいただきましたこと心より御礼申し上げます。また、開催後にいただきました「喜びのお声」にも、沢山の励ましや喜びの言葉、ご意見やご提案をいただき重ねて感謝申し上げます。
毎年の運動会においては、子どもたちに与えたい(より成長の為にふさわしいと思われる)生活を中心に据え、日程や会場の選定に心を悩ませています。皆様からのご意見やご提案すべてに対してお応えすることは難しいと思いますが、検討を十分に行い来年の運動会に向けて探ってまいりたいと考えています。
運動会が延期になった翌週の月曜日、私は子どもたちの体調や心の様子を注視しつつ、園庭の雰囲気や一人ひとりの子どもたちの姿を見ていました。まだ夏の名残のある9月から約一ヶ月半をかけてゆっくり時間をかけて創っていく坂戸幼稚園の運動会ではありますが、大人が思っている以上に子どもたちは日々体と心を使い、成長の分だけ疲れてもいます。本当に頑張ってきたのです。
一日を過ごしながら感じました。「いい運動会になる」と。それは一見すると運動会後のような雰囲気に包まれていたからです。運動会への活動の視野や受け止め方の広がりと余裕を肌で感じていました。
年中組の子どもたちが園庭いっぱいに広がり、楽しそうにリズムを踊り始めると、それこそワラワラと表現してもよさそうに、年少組の子どもたちが教室から飛び出してきて、テラスに座って手拍子をしたり、先生に作ってもらったのでしょうね、紙を丸めたステッキに紙テープを付けた手具を持って一緒に踊っています。その何と上手なこと!どれだけ長い時間「見て」「感じて」きたのかがわかります。
年長組の鼓笛や組体操の活動が始まると、近くで遊んでいた子やテラスを通りかかった子が動きを止めて見入っています。そして時に息をのむように、時に「がんばれー」と声を上げて、自分もその活動の中にいるように気持ちを寄せています。
運動会当日までの日々の中で、もとろん各学年の担任は子どもたちを誘(いざな)います。「わあ、年長さんってやっぱりすごいね」「みんなも来年はこれをするんだよ」「年少さんがリズムを踊るから応援しようか」といった言葉で。けれどもそれはあくまでも導きやきっかけ作りでしかありません。子どもたち一人ひとりは自分自身で時間をかけて心を育てていきます。
子どもたちは「いつか僕も、私も」という未来への憧れとともに育っていきます。
園長 浅見 美智子
乳幼児期の早期教育
少し前の新聞記事※ですが、このことについて保護者様はどのように感じられるか、一度書いてみたいと思いキーボードを叩いています。それは『「乳幼児期の「早期教育」への警鐘』という記事です。
記事によりますと、発達心理学者の内田伸子さんは、その著書の中で、乳幼児期の早期教育に対して様々な視点で問題を提起していて、それはこの年頃の暗記学習や訓練型の学習について問題を指摘していると書いてあります。
その問題の第一は、子どもを指示待ちにさせるということです。ある実験の例を挙げ、幼児期に訓練を受けた子と受けない子を比べると、受けた子はその時には成績が上がるが、その後は受けなかった子と同じ成績になってしまうばかりでなく、思春期になると指示待ちになってしまう傾向があることを説明しています。
第二は、子どもが勉強への興味を失うことです。幼児期にある方式で漢字の学習をした子が、小学校2年生の段階では国語の成績がむしろ低かったという追跡調査を挙げ、先取り学習は勉強への興味を失う可能性があると述べています。
第三は、問題解決力が身に付かないことです。ある問いに対して、塾で教えられたことや覚えたことを手際よく答えた子と、自分なりの体験やイメージを結び付けながら試行錯誤して答えた子を比べると、前者は問題解決型の問題の成績が低かったという研究を紹介しています。
そして記事には、氾濫するネット社会の情報の中には、「脳科学」というキーワードを入れ、多くが早期からの能力開発の重要性を訴え、親にとっては自分次第で我が子の才能の芽が育てられるかどうかが変わってしまうような焦りを生じさせていると続けています。
私も同感です。第二については直感的にでもそう思いますし、園長がお伝えしている「これからの期待を残すこと」「学びへの余地を残し学習への動機に繋げてあげること」が幼稚園を卒業後の学習に対する姿勢に大きく影響すると感じます。第三については入園前の幼稚園説明会で園長が毎回お話している知識型問題解決と応用型問題解決の正答率の違いについてからも明らかです。
もちろん、必ずしも幼児全員が内田氏の言うようになるとは思っていません。子どもは大好きなお父様やお母様が勧めれば「やりたい」と思うでしょうし、始めれば子どもなりに知識や技能が増し、有能感を高め「楽しい」と答えることでしょう。けれども、私たち幼児期の子どもを取り巻く大人は、こうした特別な暗記型学習や訓練型学習がはらむ問題をしっかりと知っておくこと、幼児期に大事な育ちは非認知的能力と言われる人として生きていくための力であることを理解しておくことが大切です。
そして何よりも子どもがそのことに取り組んでいくために必要な「好き」かどうかを見極めていくことだと思います。一つのことを続けるということは、それ自体が才能と言う人もいますが、「好き」でないのなら時には「退くもあり」「また戻ってくればよし」と親が焦らずに構えることだとも思うのですが、皆さんはどう思われますか。
さっかーせんせい 浅見 斉
※日本教育新聞 平成30年4月23日 続保護者に響く保育の金言 大豆生田啓友 玉川大学教授
園長だより H30年10月
ありがとう70周年
先月行われました卒業生絵画展には、準備の為の半日保育等、ご理解とご協力をいただきありがとうございました。初日は雨天であったにもかかわらず、二日間で千二百名を超える方々にお越しいただきました。
前日準備の終盤に、会場内に吊るされた昭和の38年間分の絵画と並べられた平成の29年間分の絵画を見た時、私は圧巻とも圧倒とも表現しきれない程の思いに包まれました。
そこにあるのは、まさしく坂戸幼稚園が「ここ」で歩んできた歴史であり、普段は意識したくても容易に出来ずにいる「時間」そのものであると感じました。目には見えないものが目に見える形で「ここ」に在る。それがどれ程ありがたいことなのか…私は創立者の志に心から感謝しました。
心が震える、心が揺さぶられる二日間でした。来場していただいたご卒業生とご家族の表情や所作のひとつずつに胸が高鳴り、絞めつけられる思いの中過ごしました。その一つずつをどう表現すれば良いかを思いあぐね、エピソードとして記すことにいたします。
昭和29年度卒のご卒業生がご友人と共にお越し下さいました。「あなたは?」と尋ねられ「創立者の孫です」と答えますと「ああ、サダ先生に似てるわ」「私、写真を持ってきたのよ、見て」と一葉の写真を見せて下さいました。その後、吊るされた絵画をひと通りめくり、ご友人と「無かったわね」「提出しなかったんじゃないの?」と残念そうに語り合う中、私がもう一度、一枚一枚と絵画をめくりました。「あった」「これよ、これよ。ああ…私の絵」婦人は涙をこぼし絵を見つめ、そっといつくしむように絵をなぞり、そして写真を撮りました。「ありがとう」その言葉の嬉しさと重みをどう表現したら良いでしょうか。
数年前に卒業されたお子さんがご家族と共に両日いらして下さいました。一日目には「あった。お父さんの絵だよ」と見つめていた絵。翌日には「これはお父さんの友だちの絵。よく○○して遊んだよな」とお子さんに当時の思い出話をしながら絵をめくり見つめていました。ご自身の絵の側には、一緒に時を歩んだ「友だち」がいる。そのことを伝えて下さっているようにも思えて胸があつくなりました。
「園長先生、ご卒業生のお母様です」と声を掛けられ振り向くと、「Tです」「ああ、T君のお母様ですか」その瞬間に手を取り合い、涙があふれてきました。T.T君は私が入職一年目に担任を持たせていただいた子で、とても子どもらしく、やんちゃな素敵なお子さんでした。「Tもね、今は35歳。子どもがふたりいてね。でも、仕事の関係で離れて暮らしているの」と毎日交わされるスマホのメールからお孫さんの写真を見せて下さいました。
入職初年度、つまり一年目の職員にとり、担任した子どもたちと保護者様には真に特別です。「先生になれた」という原点がそこに在るかもしれません。Tさんの外にも数名の「私の原点」の保護者様がいらして下さいました。「あの頃…」の話をする度に、情熱ばかりでスキルも経験もない私を支えて下さった保護者様のありがたさが全身にあふれ、言葉にならない程のなつかしさに包まれました。
開催二日目の午後に車椅子で卒業生がご来園されました。お話をうかがうと、午前中にご家族の方がその方の絵を写真に撮りお見せしたところ、「どうしても実物が見たい」と入院中の病院に一時外出を願い出ていらして下さったとのことでした。「絵」はもちろん写真で見ることもできます。けれども、「本物」や「実物」の尊さは、世の中の技術がどう発展しようとも敵うはずのないものであるはずです。この卒業生はそれを見に来て下さったのだ…と胸が詰まる思いでした。
卒業生のほかにも、かつて坂戸幼稚園でお勤めいただいた先生方が沢山いらして下さいました。飯島先生は前園長と一緒に30年以上に渡り坂戸幼稚園で事務関係のお仕事をされていました。「どうかおかまいなくね」とおっしゃった後に、ゆっくりといつくしむように数々の絵画や写真、思い出の品をめぐりお帰りになりました。飯島先生は園庭を見回し、銀杏の木にそっと手をあて、そして創立者の銅像を見上げ、やわらかな表情で正門から出ていかれました。
創立者(祖父)が残し、前園長(母)が引き継いでくれた絵画を、こうして10年毎に見ていただく機会を得た喜びは図り知れません。来園された方々のまなざし、表情、所作、声音のひとつずつに私は「ここ」に幼稚園があってよかったと思いました。そして、それに携わる仕事、人生を与えてもらったことに深く感謝しています。
最後に、数年前ののびのびつうしん最終号にも記した文章で閉じようと思います。神戸女学院大学名誉教授内田樹氏の著書の中の「HarborLight※の役割について」という記述からの抜粋です。
『大学(学校)と教師には「卒後の自己教育」にとっての観測定点であり続けるという重要な任務がある(中略)教師というものは、もしかすると「道祖神」の様なものではないかと思う。積極的に何か「よいこと」をするわけではない、でもそれが子どもの時に見たままのところに、子どもの頃のままの姿をしてあることを知ると、人は「自分には根がある」という感覚を持つことができる。
卒業生たちが自分がどんな道程をどこに向かって歩んでいるかを確認しつつ、一歩ずつ進めるようにするためには、「母港」がいつまでもHarborLightを送り続けていることが必要である。「そこに来れば、元の自分に戻れる気がする場所」が必要である』
心から ありがとうございます。
園長 浅見 美智子
※HarborLight:ハーバーライト。港の灯り、港口灯台。
園長だより H30年9月
2学期もよろしくお願いします
初日から雨天ではありましたが、夏休みの楽しかった思い出を両手いっぱいに抱えて、晴れやかな笑顔で子どもたちが登園してきてくれました。
始業式に集まった子どもたちの前に立ちますと、何も言わずとも子どもたちはおしゃべりを止め、じっと私の顔を見つめて「聞くよ」のメッセージを送ってくれます。何気ないことのないように思われるかもしれませんが、そうした子どもたちの表情や所作、全体が作り出す雰囲気の中に私はいつも子どもたちの成長を感じます。
1学期の様々な経験の上に重ねるこれからの日々の中で、子どもたち一人ひとりが自分のリズムで楽しく充実した毎日を送れるよう応援したいと思います。
創立70周年を迎え、今月15日(土)、16日(日)に卒業生絵画展を催します。この絵画展は創立50周年を機に10年毎に行っているもので、今回で3回目の開催となります。
坂戸幼稚園は昭和24年に創立者故浅見友治と妻故サダにより開園し、昭和29年3月に県下35番目の学校法人立幼稚園として認可されました。当時はまさに戦後復興の最中、世の中も人の心も戦争から立ち直ろうとすることで精一杯であり、幼児教育の大切さどころか、幼稚園に子どもを通わせることすら広まっていない時代であったと聞きます。
戦前、戦中、戦後を体験してきた祖父(創立者)は、私にその辛酸な日々や苦労の話をしたことはありませんでした。ほんの時々、母や年始に集まる叔父、叔母から当時の話を聞くことがありました。
祖父は、戦後の焼け野原を前に「これからの日本の未来を築き、その中心となって働く者は、今、目の前にいる子どもたちだ。そのためには幼児からの教育こそが大切である」と考え、地域の家庭一軒一軒を訪ねて幼児教育の大切さを説いたそうです。その信念が園庭の石碑「この庭に遊ぶ児は日本の中堅たれ」の言葉に刻まれ、坂戸幼稚園の建学の精神になっています。
こうして卒業生絵画展ができるのは「卒業生の絵を園に残そう」と考えた創立者とそれを大切に引き継いだ前園長の思いがあればこそです。創立者がなぜ子どもたちの絵画を残そうと考えたかは思い図るしかできません。物の少ない時代、クレヨンさえも個人で持てない貧しい時代、写真等での記録も容易でなかった時代に、何か一つでも残してあげたいという思いであったかもしれません。
昭和26年度卒業生の絵画。当時の家庭生活の様子がうかがえます。そして、とても丁寧に描かれていることも分かります。
そうして継承されてきた絵画は、変え難い財産を園と子どもたちの側にいさせていただく私に与えてくれました。在園されるお子様方の絵画もここに繋がっていきます。是非ご覧いただき、坂戸幼稚園が歩んできた歴史とここで生活してきた方々の足跡を感じていただけたら嬉しく思います。
共感
先日閉幕したアジア競技大会をご覧になられた方も多いと思います。どの競技においても一心に取り組む選手の姿に胸を打たれました。娘たちが長期間フィギュアスケートをしていたこともあってか、私はこうした大会や試合の映像を見る度に、どうしても「これまでの日々」に思いを馳せてしまいます。どれほどの努力と困難と思いを超えて「いま、ここに」いるのだろうと。
そうした思いで観ているせいか、ニュースや実況でよく伝えられる「やりました!日本○個目の金です!」や「○○よく健闘しましたが惜しくも銀!」といった言葉に、ひとりブツブツと「銀メダルだってすごいじゃない!アジアの中で2番目だよ」と言いながら、映し出される試合前後の選手の表情や解説者の選手エピソードに涙をポロポロこぼしてしまうヘソマガリです。
アジア競技大会の全ての映像を見た訳ではありませんが、今回の大会で最も心に響いた言葉があります。それは「あぁ・・・よかった」。8月26日に行われた女子マラソンで野上恵子選手が2位でゴールした瞬間の元マラソン選手高橋尚子さんのつぶやきです。
その時私は画面の前にいた訳ではありませんでしたが、その声音に高橋尚子さんの思いと野上選手への心からの共感を、大袈裟かもしれませんが心が揺さぶられるような思いで聞きました。
「ヤッター!」でも「おめでとう!」でもない「あぁ・・・よかった」という言葉に、高橋尚子さんがどれほどの思い(共感)を持って競技の行方を見つめていたのかを知りました。
私たち教師や親、子どもの側にいるものにとり、共感することや受容すること、褒めることの大切さはよく知られることです。けれども、子どもたちに届けているその言葉は真に本当のものなのかな?ルーティンになっていないかな?その場合わせのものではないかな?と自分に問いかける大切さ、必要性、きっかけを作ってくれたように思います。
真に相手の立場や身になって、物事を考え思うことはたやすいことではないでしょう。だからこそ、私はこの高橋尚子さんのつぶやきを忘れずに、何度でも思い返して行こうと思います。
園長 浅見 美智子
園長だより H30年8月
園長だよりを楽しみにされていた皆様、アップが滞ってしまい大変ごめんなさい(失念していました…)。H30年8月号から順次アップしてまいりますので、どうぞご一読下さい。園長だより、園長が何を語るかで、その幼稚園の保育が、教育が分かります。坂戸幼稚園を知っていただきたく掲載しています園長だよりです。
楽しい1学期をありがとうございました
4月から始まった一学期も早いもので本日で終了となります。先生と、友だちと、遊具と、土と水と、たくさん遊びましたね。保護者様もきっと、ほんの三ヶ月あまりの日々の中でも、大きくのびやかに成長された姿をお感じになっていることと思います。
初めてだらけのドキドキでいっぱいにスタートした年少組の一学期。毎日の繰り返しの中で、生活のリズムや見通しが持てるようになり、少しずつ集団の中で自分が安心する居場所を作っていってくれました。また、自分ことで精一杯だった子どもたちが、好きな人、好きな遊び、やりたいことを見つけて、自分らしく気持ちを表現しながら、“かかわり”の幅を広げてくれています。
つい3月までは、自分たちが一番“小さい組”だった年中組の子どもたちは、新しいクラスメイトと出会い、「あの子と遊んでみたいな」「あの子好きだな」と思いを広げたり、年少組のお友だちに、お兄さんお姉さんぶりを発揮して、譲ったり、手助けをしてくれたりとさり気ないやさしさを沢山見せ、思いやりの心を育んでくれています。
そして、年長組の子どもたちは幼稚園の中で一番のお兄さんお姉さんという自覚を自分自身の中で少しずつ育てていきながら、様々な学年やクラスの活動を通して、「自分と他者との違い」に気付き、「友だちに認められたり受け入れてもらう喜び」を感じてきました。そうした中で、時には葛藤を味わいながらも「自分の可能性に挑戦する気持ち」を日々育んでいます。
夏休みは、大好きなご家族様の側で、普段の生活では味わえない、様々な経験をされることでしょうね。お買い物に行ったり、お留守番をしたり、一緒にご飯を作ったり、洗濯物を干したりと、そんな些細に思える出来事も子どもたちには新鮮な体験になることでしょうね。
今学期のご支援とご協力に深く感謝申し上げます。健康で安全な楽しい夏休みをお過ごし下さい。
便利さの弊害?
もうずいぶんと以前に、「便利さで失うもの」というタイトルで、子どもたちを取り巻く生活様式の変化により、子どもたちが「変わってきた様子」や「出来なくなってきた事」について記しました。今回はそれから10年近くが経ち、今や「弊害」と感じざるを得ない出来事について書きたいと思います。
ひとつ目の出来事。先日、西入間地区開催の観劇会で、坂戸市文化会館に行きました。一部と二部の間に休憩時間が設けられ、何となく席を立ちたい子を含めて、毎年多くの子がトイレに向かいます。用を足し、さて手を洗うという場面になって「あれ?」は起こります。
手洗い場には水を出すための栓が付いているのですが…何人もの子が、水が出る蛇口に手をかざしたまま待っています。じーっと。もちろん坂戸幼稚園の子どもたちも、それに該当します。「幼稚園の水道」は自動で出るものではないのに何故?と思いますが、多くの公共施設やショッピングセンター等がそうである為に、「きっとここもそう」と子どもたちが思っていることに気付きます。「お水は待っていても出てこないよ。蛇口をひねらなくてはね」と伝えます。
ふたつ目の出来事。この数年、幼稚園のトイレが詰まり、使えなくなるということがやけに増えてきました。もちろんその都度対処し、改善されない時には専門のお取引先様を呼び、調べ、直してもらっています。そこで解ったことに「あれ?」が生じます。
時には便器を外してまで調べるのですが、汚水の流れをたどるうちに、その詰まりが「汚水管を流れる水の不足」にあることが分かります。つまり…流さないのですね。小学校との就学児の連絡会の折にも「最近は自宅が自動洗浄になっているせいか、使用後に水を流さない子が増えているのです」とお話がありました。他にも、「流す」ということを親が先んじてしてしまっているケースも考えられますね。幼稚園では特に年少さんに対して、使用の度に「オシッコ、バイバーイ」や「お水を流せてエラカッタネ」を繰り返し伝え、習慣になるようにしています。
みっつ目の出来事…というよりは状況です。入園児にオムツ離れが出来ていない子、6月まで(プールが始まる時期)に排泄の自立が出来ない子、年長時のお泊り保育での夜間のオムツ使用の子が年々増えています。いえ、むしろ急増という言葉を使ってもよいのかな…という位に感じています。該当される保護者様には少々お耳に痛い文章になるかとは思いますが、私は常に子どもたちを生き物としての3歳の子、4歳の子、5歳の子、6歳の子として見る目を保つようにしています。そうしたことで「以前の○歳の子には出来たことが、今の子には出来ないのは何故だろう?」という問いが生まれます。
そうしたことを考える中で、やはり「環境」という言葉が大きなキーワードになりそうです。私が長女を出産した後、大学で学んだこと(排泄の自立を促すためには、本児に不快感を味合わせなくてはならない)の影響もあり、自宅でも保育室でも布オムツを使用していました。当然手間はかかります。次女の出産の折、知人から紙オムツを頂いた時には「何て便利なのだろう」と思ったことを思い出します。
たぶん現在の紙オムツはそれ以上に高機能で快適なものになっていることでしょうね。コマーシャルを見ているとよく分かります。それ以外にも、環境を作る、与える側としての大人の対応に起因するものもあるのかな?と感じることが増えました。子ども自身が「困った」「恥ずかしい」「何とかしなくちゃ」と思うことや、自分が大好きなお父さん、お母さんが「困っている」「大変そうだ」と感じる経験は、当事者の子どもにとり、やはり不快な体験となります。しかし、オムツに限らず、一時の不快あるいは困った体験が子どもたちの伸びる(困難を乗り越える)大きなきっかけと原動力になることを私は多く見てきました。
人として、生き物として、○歳の子には○歳の子どもの持ちうる力を持って生活して欲しい(させてあげたい)と願います。また、昨今の自然災害を含めた様々な日常(豊かな毎日)とは異なる状況においても、逞しく生き延びる力を備えて育って欲しいと強く願います。
豊かで便利な生活の中で、私たちは様々なものを逆に失ってきたことは確かです。その力やスキルを取り戻す為には、「あえて○○する」といった大人の意識的な働きかけが必要な時代になりました。
園長 浅見 美智子
園長だより H30年7月
またまたアップが遅くなってしまいました(というよりは忘れていました・・・)。申し訳ございません。もうじきのびのびつうしん8月号が出ますが、7月号の園長だよりです。お読みいただければ嬉しく思います。
付加価値
先日100円ショップに買い物に行きました。私はどの店舗という訳ではなく、100円ショップを訪れる度に圧倒されるとも感動するとも表現しきれない思いに駆られます。
それはたぶん、100円というコイン1枚でこんなにも沢山の生活に必要な物が買えるのかという驚きと、少ない「おこづかい」を持った幼い娘たちとここに来たかったなという思いがあるからなのでしょう。
「バトンクラブを作ったからね。あなたが指導しなさい」と母(前園長)に言われ、指導を始めたのは大学1年の時でした。毎年の運動会と学芸会を発表の場にして、文字通り試行錯誤しながら指導を続けてきました。
長い期間、ある意味で同一の条件(私、六歳になる子どもたち、一斉型の指導等)で指導を行ってくると見えてくるものがあります。
その年(時代)の子どもたちの様子、クラスや学年としての状況、一人ひとりの特性と課題、親御様のお子様への関わり方の違いやその影響等です。
子どもたちと私とで作るバトンクラブの一年は、どの時とも違います。それを解るようにしてくれたのは「時間」の持っている付加価値なのかもしれません。
とても嬉しい出来事がありました。さすがに36年ともなると、これまでにも2代目さん(親子で在園される方)と生活をする喜びをいただいてきました。今年は更に、お母様がバトンクラブに入っていたお子さんが2名いて、そのおふたりとも「お母さんのバトン」を使ってくれているのです。
初回の指導を終えた時、そのおひと方が私の元に来て「先生、うちの子のバトン短いですか?私が使っていた物なので。短いようでしたら買い替えます」とおっしゃいました。私はバトンの長さについて説明をし、是非このバトンを使って欲しいとお話ししました。
翌週、Mちゃんは私にバトンを見せながら「先生、見て。このバトンお母さんのなの。だから、K.Mって名前が書いてあるよ」と嬉しそうに教えてくれました。
ある時もうひと方のお母様に「K君のバトンはお母様の物なのですね」と話し掛けますと「うちの母は何でも取っておくので」と謙遜するようにお答え下さいました。思わず「ご自分が使っていたバトンをお子様に使わせるお母様も、それを取っておいて下さったおばあさまも本当にすてきです。すごいです」とお話ししました。
100円である程度の必要な物を買える時代を私たちは生きています。けれど、そうした物への対価だけで人は育っていくものではないように思います。与える人と与えられた人の思い。そして、その人だけの物に関わる思い出。
そういえば…この前この100円ショップに来たのは、留学するための生活用品をバタバタと次女と買いに来た時だったっけ…と思い出しました。付加価値は人の思いとともにあるようです。
園長 浅見 美智子