2006年03月19日
卒業にあてて
またまたご無沙汰してしまいました。スイマセン。会社や企業と同様3月決算時期、幼稚園ですから学年末はとてもバタバタしており手が付けられずにいました。いざ、始めてみましたこのブログですが、なかなか難しいものですね。さて、言い訳はこのくらいにして・・・
昨日、卒業式、修了式が終わりました。子どもたちの平成17年度も終わり、しばらくお休みに入ります。在園児の保護者様1年間本当にありがとうございました。子どもたち一人一人がそれぞれに成長した表情で昨日を迎えてくれたことがとても嬉しく感じられた1日でした。特に17年度新入園のお子様方がしっかりと坂幼っ子化(?)しているので18年度がとても楽しみです。どうぞよろしくお願いいたします。
卒業式の3日前、いつものように帰りのトーマスバスを運転していますと、年長組の子どもたちが卒業式で歌う「ありがとう、さようなら」を歌いだすではありませんか。卒業式に向けて練習しているので楽しく大合唱です。
こちらはもう運転どころではなくなりかけちゃいました。不思議なもので卒業式当日までは「あとまだ何日ある」「まだまだ何日ある」と自分を納得させながら余裕の(振りした)顔なのですが、この時ばかりはやばかったです。じわじわ目がしめってきちゃうし、手でぬぐうわけにもいかないし(結構子どもたちはバックミラー越しに見てるんですよねー、私のことを。『サッカー先生どうしたのー?』なんて言われるのも恥ずかしいですから)。
毎年迎える卒業式ですが、やはり思い出すのは一人一人の入園間もない頃のことです。一ヶ月も二ヶ月もバスに乗る時お母さんから離れるのが悲しくて泣いていた子が今ではけろっと乗り込んでくる。そして年長さんになった時には同じように泣いて乗ってくる新入園の子どもの横の席で何を言うわけではないけれど寄り添って座っていてあげられる。みんな知ってるんです。「私もこんな時があったな。たくさん泣いていいんだよ。いつかは『私もそうだったな。なんでもないじゃん』って思える日がくるから」と静かに、そっとしておいてあげられる、そんな子たちなんです。
入園当初、なかには「サッカー先生、サッカー先生っ」と毎日のように寄ってきてくれていた子も、気が付けばお友だちや先生、クラスでの生活に自分の居場所をちゃーんと見つけて歩んでる姿には子どもたちの心がたくましくなったことに目を細めてしまいます。
そして思いを馳せるのは小学校にあがってからのこと。いろんな幼稚園さんや保育園さんから子どもたちが集まってひとつのクラスとなるわけですから、戸惑いも不安もあると思うのです。でも、坂戸幼稚園で過ごしてきた友だち、仲間、先生との
生活に自信を持って、何ができる、何が上手と言うことだけではなくて、胸を張って、上を向いて、笑顔で、元気よく小学校の門をくぐり、小学校生活の中で1年生なら1年生なりに、2年生なら2年生なりに、その時できる子どもとしての思いやりある正しい判断を行える勇気を持ってもらいたいということです。
これには保護者様の応援が不可欠です。どんな応援かというと、私が思うに、子どもたちは友だちやクラス、あるいは先生との生活で大なり小なりのいろんな課題、問題、困ったこと、つまづくこと・・などにぶつかった時に、一気に解決へ向けてワープするのではなくて、子ども自身が「どうしたらいいんだろう?」とあれやこれや考え、お子様とともに悩み、考える時間を持っていただき、親として子どもの心の将来のために正しい判断をしてあげられることなのかなと考えています。
えい、もういいやっ、もっとぶっちゃけて言えば、親が子どもの困難をすべてを解決してあげてしまう環境だと、子どもたちは何でも親頼り、「親がなんとかしてくれるだろう」と心の中でペロッと舌を出す時だってあるんです。それを見逃してはいけない。一緒に悩んで、一緒に考えて、言葉がわからなくたっていい、人としてあるべき行動はこうなんだと大人の言葉で夜通し話し合うのもいい、そんな父子、母子、親子であってほしいと願っています。
卒業式のお話しからちょっと方向がずれてしまいました。坂戸幼稚園の卒園生たちの大きな可能性を信じて止みません。うれしい時、楽しい時、悲しい時、困った時、いつでも幼稚園においで。待ってるよ。
昨日、卒業式、修了式が終わりました。子どもたちの平成17年度も終わり、しばらくお休みに入ります。在園児の保護者様1年間本当にありがとうございました。子どもたち一人一人がそれぞれに成長した表情で昨日を迎えてくれたことがとても嬉しく感じられた1日でした。特に17年度新入園のお子様方がしっかりと坂幼っ子化(?)しているので18年度がとても楽しみです。どうぞよろしくお願いいたします。
卒業式の3日前、いつものように帰りのトーマスバスを運転していますと、年長組の子どもたちが卒業式で歌う「ありがとう、さようなら」を歌いだすではありませんか。卒業式に向けて練習しているので楽しく大合唱です。
こちらはもう運転どころではなくなりかけちゃいました。不思議なもので卒業式当日までは「あとまだ何日ある」「まだまだ何日ある」と自分を納得させながら余裕の(振りした)顔なのですが、この時ばかりはやばかったです。じわじわ目がしめってきちゃうし、手でぬぐうわけにもいかないし(結構子どもたちはバックミラー越しに見てるんですよねー、私のことを。『サッカー先生どうしたのー?』なんて言われるのも恥ずかしいですから)。
毎年迎える卒業式ですが、やはり思い出すのは一人一人の入園間もない頃のことです。一ヶ月も二ヶ月もバスに乗る時お母さんから離れるのが悲しくて泣いていた子が今ではけろっと乗り込んでくる。そして年長さんになった時には同じように泣いて乗ってくる新入園の子どもの横の席で何を言うわけではないけれど寄り添って座っていてあげられる。みんな知ってるんです。「私もこんな時があったな。たくさん泣いていいんだよ。いつかは『私もそうだったな。なんでもないじゃん』って思える日がくるから」と静かに、そっとしておいてあげられる、そんな子たちなんです。
入園当初、なかには「サッカー先生、サッカー先生っ」と毎日のように寄ってきてくれていた子も、気が付けばお友だちや先生、クラスでの生活に自分の居場所をちゃーんと見つけて歩んでる姿には子どもたちの心がたくましくなったことに目を細めてしまいます。
そして思いを馳せるのは小学校にあがってからのこと。いろんな幼稚園さんや保育園さんから子どもたちが集まってひとつのクラスとなるわけですから、戸惑いも不安もあると思うのです。でも、坂戸幼稚園で過ごしてきた友だち、仲間、先生との
生活に自信を持って、何ができる、何が上手と言うことだけではなくて、胸を張って、上を向いて、笑顔で、元気よく小学校の門をくぐり、小学校生活の中で1年生なら1年生なりに、2年生なら2年生なりに、その時できる子どもとしての思いやりある正しい判断を行える勇気を持ってもらいたいということです。
これには保護者様の応援が不可欠です。どんな応援かというと、私が思うに、子どもたちは友だちやクラス、あるいは先生との生活で大なり小なりのいろんな課題、問題、困ったこと、つまづくこと・・などにぶつかった時に、一気に解決へ向けてワープするのではなくて、子ども自身が「どうしたらいいんだろう?」とあれやこれや考え、お子様とともに悩み、考える時間を持っていただき、親として子どもの心の将来のために正しい判断をしてあげられることなのかなと考えています。
えい、もういいやっ、もっとぶっちゃけて言えば、親が子どもの困難をすべてを解決してあげてしまう環境だと、子どもたちは何でも親頼り、「親がなんとかしてくれるだろう」と心の中でペロッと舌を出す時だってあるんです。それを見逃してはいけない。一緒に悩んで、一緒に考えて、言葉がわからなくたっていい、人としてあるべき行動はこうなんだと大人の言葉で夜通し話し合うのもいい、そんな父子、母子、親子であってほしいと願っています。
卒業式のお話しからちょっと方向がずれてしまいました。坂戸幼稚園の卒園生たちの大きな可能性を信じて止みません。うれしい時、楽しい時、悲しい時、困った時、いつでも幼稚園においで。待ってるよ。