2007年04月24日
スコットランドプレミアリーグの中村選手、素直にスゴイと思います。テクニカルなプレーは若いころから際立っていたのでお話しするところはありませんが、ロスタイムのフリーキックを決めてサポーターに向かって喜びを爆発させて駆け寄っていく姿や、インタビューの受け答え、チームのために、サポーターのためにと発言するところなんか以前に比べて“大人”になったなぁと感じました。謙虚になったとでもいうのでしょうか。以前サッカーに関する大人観を書いたと思いますが、こんな中村選手だったらきっと日本代表でも活躍すると思います。なんといってもセルティック残留を決めているところがいい!今年のチャンピオンズリーグも楽しみだ!
2007年04月22日
昨日のあそカレ
昨日の今年度最初のあそカレを行いました。お天気も上々。新1年生を中心にたくさんの卒園生が遊びに来てくれました。何をしたかというと・・・最初のあそカレということもありまずはアイスブレークで「ミラーリング(鏡ごっこ)」。二人一組になって相手のポーズや仕草をもう一人が鏡になって真似ていきます。デモンストレーションの麻貴先生と扇舞先生に大笑い!これでみんな肩の力が抜けました。
それから外に出て鬼ごっこ。あそカレですからただの鬼ごっこではつまらないとバリエーションをつけて行うのですが、今回は「割り込み鬼」。説明すると長くなるのでちょっと割愛しますが、これははずしちゃったなぁ。ま、こんな鬼ごっこもあるぞ、ということで流しちゃいました。エヘヘー(笑)。
さて、今回のメインは「第1回 あそカレ 泥だんご選手権」。幼稚園の時みんな作った泥だんご。子どもながらに見事な泥だんごを作ったものですが、実はこの泥だんご奥がとっても深く、ピカピカ泥だんご作りにはまっている大人が結構いるんです。あそカレのみんなも小学生、幼稚園の時の泥だんごからピカピカ泥だんごという更なる高みにチャレンジしてみようということで行いました。選手権ですから、上位泥だんごはこのサッカーパパ日記に写真を掲載するよを賞品(せこい?)に一斉に土に向き合いました。
進学、進級した小学生たち、話したいことがいっぱいいっぱいあるんですね。私たち先生も子どもたちの輪の中に入って泥だんごを作りますが、学校での話をたくさんしてくれます。今回のねらいは実はこれ。小学生だって新しいクラスや新しい友だち、新しい先生という環境でけっこう気を使ってるんです。新学期が始まって2週間、ちょうど体も気持ちも疲れやストレスが出る頃、それを話を聞いてあげて少しでもゆるめてあげられればな、あそカレが、幼稚園がいつでもキミたちのお話を聞いてあげられるところなんだよっていうことが伝わればな、それには泥だんご作りがピッタリと思いました。
途中で割れたり、壊れちゃったりする子もいたけれど、低学年から高学年まで先生と、お友だちと時には笑いながら、時には黙々と白砂かけたり、磨いたり。最後に美智子先生と厳正なる審査を行って上位泥だんごが発表されました。
優勝したA.ゆうとくんの泥だんご。形と光り具合がピカイチでした!
準優勝のF.あきらちゃんの泥だんご。小さいながらきれいな一品!
特別賞のK.ともかちゃんの泥だんご。ビニール袋の赤いところで磨き、赤泥だんごの完成。キズがないのがポイントでした。
サッカー先生の泥だんご。これからまだまだ磨いていきます!お楽しみに!
1年間、今年もあそカレ行いますので、みんな遊びに来てね。待ってるよー
それから外に出て鬼ごっこ。あそカレですからただの鬼ごっこではつまらないとバリエーションをつけて行うのですが、今回は「割り込み鬼」。説明すると長くなるのでちょっと割愛しますが、これははずしちゃったなぁ。ま、こんな鬼ごっこもあるぞ、ということで流しちゃいました。エヘヘー(笑)。
さて、今回のメインは「第1回 あそカレ 泥だんご選手権」。幼稚園の時みんな作った泥だんご。子どもながらに見事な泥だんごを作ったものですが、実はこの泥だんご奥がとっても深く、ピカピカ泥だんご作りにはまっている大人が結構いるんです。あそカレのみんなも小学生、幼稚園の時の泥だんごからピカピカ泥だんごという更なる高みにチャレンジしてみようということで行いました。選手権ですから、上位泥だんごはこのサッカーパパ日記に写真を掲載するよを賞品(せこい?)に一斉に土に向き合いました。
進学、進級した小学生たち、話したいことがいっぱいいっぱいあるんですね。私たち先生も子どもたちの輪の中に入って泥だんごを作りますが、学校での話をたくさんしてくれます。今回のねらいは実はこれ。小学生だって新しいクラスや新しい友だち、新しい先生という環境でけっこう気を使ってるんです。新学期が始まって2週間、ちょうど体も気持ちも疲れやストレスが出る頃、それを話を聞いてあげて少しでもゆるめてあげられればな、あそカレが、幼稚園がいつでもキミたちのお話を聞いてあげられるところなんだよっていうことが伝わればな、それには泥だんご作りがピッタリと思いました。
途中で割れたり、壊れちゃったりする子もいたけれど、低学年から高学年まで先生と、お友だちと時には笑いながら、時には黙々と白砂かけたり、磨いたり。最後に美智子先生と厳正なる審査を行って上位泥だんごが発表されました。
優勝したA.ゆうとくんの泥だんご。形と光り具合がピカイチでした!
準優勝のF.あきらちゃんの泥だんご。小さいながらきれいな一品!
特別賞のK.ともかちゃんの泥だんご。ビニール袋の赤いところで磨き、赤泥だんごの完成。キズがないのがポイントでした。
サッカー先生の泥だんご。これからまだまだ磨いていきます!お楽しみに!
1年間、今年もあそカレ行いますので、みんな遊びに来てね。待ってるよー
2007年04月20日
あそカレ会員の皆さんへ
明日は今年度第1回目のあそカレだよ。今回は(も?)案内が遅くなってしまってゴメンネ。明日は当日参加OKだから沢山の会員の皆さんの参加を待っています!何をやるかは明日のお楽しみっ。お天気もいいようだしみんな来ってっねー!
2007年04月17日
くれよん説明会をおこないました
昨日4月16日に今年度の2歳児クラス“くれよん”さんの募集説明会を行いました。今回の説明会は在卒園児弟くん妹さん向けの説明会です。たくさんのご参加いただきありがとうございました。
募集人員(ワンデークラス13人、ツーデイクラス13人)と入会ご希望の方との人数により今年度も在卒園児以外の方のご入会もできる状況です。※ただし、ワンデークラスのみとなりそうです。
これまでに“くれよん”についてお問い合わせをいただいた方を中心に、一般向け説明会のご案内をお出ししています。もし、こちらをお読みになられまして興味・関心をもたれた方がいらっしゃいましたら幼稚園までお気軽にお問い合わせ下さい。説明会のご案内を早速ご郵送いたします。
地域に子どもたちが少なくなり、核家族化の進行、生活の多様化、などで子どもたちに必要な子ども社会が身近な生活の中で失われつつあります。私たちが子どもの頃は近所に子どもたちがたくさんいて、隣のお兄ちゃん、はす向かいのお姉ちゃんがいっぱい遊んでくれました。そんな子ども同士の関係の中から本当にたくさんのことを感じ、身につけていました。
そうした子ども(だけ・・・公園で子ども同士で遊ぶと言っても必ずお母さんが一緒ですね。これは子どもの世界とは必ずしも言えないですね)社会の消失は子どもたちの育ちに深刻な影を落としていると思います。
小さな子どもたちを子ども社会に受け入れてあげる、そんなお手伝いができればと始めた“くれよん”さん。いろんなとっても良い副産物(トイレトレーニングなんてしなくったって夏の水遊びでオムツがとれちゃう!etc)も見つけることができました。今年度ご入園された“くれよん”さん、初日から「ほぼ在園児(笑)」のごとくお友だち同士で遊んでいましたよ。
ちょっと宣伝めいてしまってスイマセン。興味・関心をお持ちの方、ご遠慮なくお問い合わせくださーい。お待ちしております。
募集人員(ワンデークラス13人、ツーデイクラス13人)と入会ご希望の方との人数により今年度も在卒園児以外の方のご入会もできる状況です。※ただし、ワンデークラスのみとなりそうです。
これまでに“くれよん”についてお問い合わせをいただいた方を中心に、一般向け説明会のご案内をお出ししています。もし、こちらをお読みになられまして興味・関心をもたれた方がいらっしゃいましたら幼稚園までお気軽にお問い合わせ下さい。説明会のご案内を早速ご郵送いたします。
地域に子どもたちが少なくなり、核家族化の進行、生活の多様化、などで子どもたちに必要な子ども社会が身近な生活の中で失われつつあります。私たちが子どもの頃は近所に子どもたちがたくさんいて、隣のお兄ちゃん、はす向かいのお姉ちゃんがいっぱい遊んでくれました。そんな子ども同士の関係の中から本当にたくさんのことを感じ、身につけていました。
そうした子ども(だけ・・・公園で子ども同士で遊ぶと言っても必ずお母さんが一緒ですね。これは子どもの世界とは必ずしも言えないですね)社会の消失は子どもたちの育ちに深刻な影を落としていると思います。
小さな子どもたちを子ども社会に受け入れてあげる、そんなお手伝いができればと始めた“くれよん”さん。いろんなとっても良い副産物(トイレトレーニングなんてしなくったって夏の水遊びでオムツがとれちゃう!etc)も見つけることができました。今年度ご入園された“くれよん”さん、初日から「ほぼ在園児(笑)」のごとくお友だち同士で遊んでいましたよ。
ちょっと宣伝めいてしまってスイマセン。興味・関心をお持ちの方、ご遠慮なくお問い合わせくださーい。お待ちしております。
2007年04月15日
読売新聞の一面に延命治療についての記事が載っていました。読んでいて母のことを思い出しました。少し書きます。
母が亡くなってもう8年になります。これは以前書きましたね。母の病気は特発性間質性肺炎という難病指定の病気で当時(今もかな?)治療法が見つかっていない病気でした。もともと気管が弱いこともあり、この病気にかかってから長く患っていた母の苦しそうな様子は見ていて本当につらそうでした。カニューラ(鼻から酸素を送る管)をしている姿も痛々しかったです。乾いた咳がひっきりなしに出て、食事も喉を通らず、みるみる痩せ衰えていきました。苦しかったのでしょう。病院のベッドで「早くお父さん、お母さん(私の祖父母)のところへ行きたい」ともこぼしていました。
末期、それでも意識のあった母ですが、看護士さんが「少しでも楽にしてあげましょう。モルヒネを打てば少し意識が薄くなりますが、お母さんは楽になると思いますよ」とおっしゃいました。私は母が少しでも楽になり、少しでも以前のような呼吸ができるのであればと父、姉と相談しお願いすることにして、後を姉に任し幼稚園に戻りました。
仕事を終え、すぐ病院に戻り病室に入るとそこには廃人となったような母がいました。何時間か前までは意識があり苦しそうではあっても会話もしていたのに。モルヒネの投与で目は混濁し、何を話しかけてももう答えてはくれません。確かにカニューラもとれ、呼吸も楽になつている。でも、もう。
私は看護婦さんにくってかかりました。こんなになるなんてわからなかった、知らなかった。でも看護婦さんは「ちゃんとお話しましたよね。ご家族とご相談もされたんでしょう」と言います。その2日後、母は亡くなりました。
そうだろうか?今でも心に重く残っています。私たちは医療について素人です。だからこそ、お医者様や看護士さんにお任せをするしかないのです。でもだからこそ、医療に携わる方々にはこうすればこうなるという当たり前のようなことも私たちにはまるで向こう側のことなのです。もっと説明をしてもらいたかった、もっと聞くべきだった。
母の死後、母が病床でつけていた短歌がたくさん見つかりました。そこには、私や姉が小さかった頃まだ母がこんな病気にかかるなんて思いもよらなかった頃の思い出とともに謳われていたのはこの苦しみから早く解放されたい、もういい、という死への渇望でした。
私は今も迷っています。もし、しっかりと説明を聞いたならばあんな状態になるモルヒネを打つことをしなかったか、でもそれは手の施しようがない病気で苦しむ母に手を差し伸べないこと。
万が一、直面することがありましたらぜひお医者様や看護士さんから納得のいくまで説明を聞いて下さい。私には未だにこれしか言えません。
デリケートで、お一人お一人にそれぞれの考えがあるでしょうから、コメントへのご返事は差し控えさせていただきます。幼稚園のサイトなのにこんなことを書いてしまってスイマセン。理由は分りません。
母が亡くなってもう8年になります。これは以前書きましたね。母の病気は特発性間質性肺炎という難病指定の病気で当時(今もかな?)治療法が見つかっていない病気でした。もともと気管が弱いこともあり、この病気にかかってから長く患っていた母の苦しそうな様子は見ていて本当につらそうでした。カニューラ(鼻から酸素を送る管)をしている姿も痛々しかったです。乾いた咳がひっきりなしに出て、食事も喉を通らず、みるみる痩せ衰えていきました。苦しかったのでしょう。病院のベッドで「早くお父さん、お母さん(私の祖父母)のところへ行きたい」ともこぼしていました。
末期、それでも意識のあった母ですが、看護士さんが「少しでも楽にしてあげましょう。モルヒネを打てば少し意識が薄くなりますが、お母さんは楽になると思いますよ」とおっしゃいました。私は母が少しでも楽になり、少しでも以前のような呼吸ができるのであればと父、姉と相談しお願いすることにして、後を姉に任し幼稚園に戻りました。
仕事を終え、すぐ病院に戻り病室に入るとそこには廃人となったような母がいました。何時間か前までは意識があり苦しそうではあっても会話もしていたのに。モルヒネの投与で目は混濁し、何を話しかけてももう答えてはくれません。確かにカニューラもとれ、呼吸も楽になつている。でも、もう。
私は看護婦さんにくってかかりました。こんなになるなんてわからなかった、知らなかった。でも看護婦さんは「ちゃんとお話しましたよね。ご家族とご相談もされたんでしょう」と言います。その2日後、母は亡くなりました。
そうだろうか?今でも心に重く残っています。私たちは医療について素人です。だからこそ、お医者様や看護士さんにお任せをするしかないのです。でもだからこそ、医療に携わる方々にはこうすればこうなるという当たり前のようなことも私たちにはまるで向こう側のことなのです。もっと説明をしてもらいたかった、もっと聞くべきだった。
母の死後、母が病床でつけていた短歌がたくさん見つかりました。そこには、私や姉が小さかった頃まだ母がこんな病気にかかるなんて思いもよらなかった頃の思い出とともに謳われていたのはこの苦しみから早く解放されたい、もういい、という死への渇望でした。
私は今も迷っています。もし、しっかりと説明を聞いたならばあんな状態になるモルヒネを打つことをしなかったか、でもそれは手の施しようがない病気で苦しむ母に手を差し伸べないこと。
万が一、直面することがありましたらぜひお医者様や看護士さんから納得のいくまで説明を聞いて下さい。私には未だにこれしか言えません。
デリケートで、お一人お一人にそれぞれの考えがあるでしょうから、コメントへのご返事は差し控えさせていただきます。幼稚園のサイトなのにこんなことを書いてしまってスイマセン。理由は分りません。