今にも【坂幼きっず】
すいれんさんは3月20日土曜日、立派に、本当に立派に卒業して小学校に進学していきました。だからもう、バスを降りて来て駆け込んできたり、「サッカーせんせぇ!」と手を振る姿はもう見られないのだな。
いつもの朝ではないのだな。それでも、今にも彼らの無邪気な声が聞こえてきそうで、思わず耳を澄まし、門に目を凝らしてしまいます。
卒業生保護者の皆様、あらためまして、ご卒業誠におめでとうございます。卒業生と同じように、今朝も「サッカーせんせい、お忙しいところちょっといいですか・・・」と皆様にお声がけられそうで。皆様にそうして声をかけられて嬉しかったことがもうないのかと思うと寂寥の感でいっぱいになります。
卒業というおめでたいことを書いているのに、こんなセンチメンタルになってしまい申し訳ありません。この年になりますとどうしてもそういう心持ちになってしまいいけませんね。
そしてこの年になり、卒業生を送り出すにあたり、どうしても思うことがあります。それは“家族”についてです。とは言っても、そんなに小難しく考えるわけではありません。
謝恩会で、美智子先生があいさつの中でお話をさせていただきましたが、子どもはどんどん大きくなります。どんどん親の手の届かない所に足を突っ込んだりしていきます。
サッカーパパ日記はお父さんもお読みいただいているので、特にお父さんにメッセージとしてお伝えしたいのは、そうした時でも子どもたちには家族が拠り所なんだということをぜひ忘れないでいてほしいと思うのです。
子どもたちは、親や家族の意見や考えよりも、友だちや仲間の意見や思いを優先させていくギャングエイジと呼ばれる年になっていきます。その中では、私も娘たちといろいろありました。取っ組み合いをしたり、手をあげることもありました。
でも、そんなこれまでを振り返ってみると、子どもたちの戻ってくるところはやっぱり家族、ちょっと悔しいけれど、お母さんなんです。
でもねお父さん、それでいいんだと思うのです。子どもたちや奥様もそこにお父さんが、パパが「居る」だけで、お父さんが家族を思っていると感じているだけで、戻ってきた時、受け止める時、安心していられるようです。
双葉会でお出ししている美智子先生のQ&Mメールというものがあるのですけれども、その中で家族について私が書いたものがあります。たわいもない文章ですけれども、私の“感じ”が伝わればと思い載せてみます。
我が家の夕食は、娘が受験に向かう高校生とスケートの練習のある中学生ということと、実は幼稚園の仕事も遅くまでかかってしまうということもあり、毎日とても遅くの夕食です。それでもみんなそろってからいただきます。ですから、家族みんながそろって見るテレビは、「いただきます」の“報道ステーション”から「ごちそうさま」の“世界の車窓から”までが毎晩のお決まりでした。唯一といっても過言ではありませんでした。
ところがですよ、今年の正月からそれが週に一度ですけど一変してしまう番組がスタートしたのです。日曜日の夜8時、そうです「龍馬伝」。家族みんながテレビの前に集合!誰か一人でもいない時は録画です。めったにメールをしてこない娘が「父さん、龍馬伝録画しておいて!」と、「!」マークに威圧を込めて送信してきます。
司馬遼太郎の『龍馬が行く』は私たち世代の男児にとってはどこかバイブルめいたものがありましたから、福山雅治目当ての娘たち、目当てだけならまだいい、「あ〜ぁ、福山雅治が父さんだったらよかったのにぃ…」と私を目の前にして平気で言ってのける娘たちに「はんっ、お前たちに龍馬が分かるかっ!」心の中で、あくまで心の中で毒づくサッカーせんせいなのです。
でも、こんなひと時が私にはとっても幸せなのです。昭和30年代生まれの、まだまだテレビが白黒の時代、みんながテレビの前に集まって、家族の空気を感じながら同じ時を“居る”。昭和のノスタルジーと言ってしまえば実はそうなんですけど…。でも、私には今、とても大切な45分間なのです。
サッカーせんせい
卒業式のお話からあらぬ方向へいってしまいました。申し訳ありません。
最後に、卒業生はもちろんのこと、保護者様、ご家族皆様で力を合せ、喜びも悲しみも共に分かち合い、何よりも健康であられますことを心よりお祈り申し上げています。ご卒業、誠におめでとうございました。
極論になっちゃった?【さっかーぱぱ日記】
こんなこと言っちゃっていいのかな?とも思いましたし、ひとりよがりかなとも思いましたが保護者の方にお伝えしました。
突然ですが、内田 樹という作家が「下流志向」という著書の中でこのように言っています。少し長いですがお読み下さい。
『母語の習得は最も原型的な学びです。他のすべての学びは、この経験を原型としてて構築されます。そう断言してよいと思います。
母語の習得を、私たちは母語をまだ知らない段階から開始します。生まれるとすぐにに、場合によっては胎内にいるときにすでに、母や父は子どもに話しかけます。そして、子どもは話しかけられてくる言葉を通じて、母語を学習します。
私たちは現にそうやって日本語を習得したわけですけれど、母語の学習を始めたときには、これから何を学ぶかということを知らなかった。これがたいせつなところです。(中略)
つまり、起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性を持つものであるかも言えないというところから始まるものなのです。というよりむしろ、自分が何を学んでいるのか知らず、その価値や意味や有用性を言えないという当の事実こそが学びを動機づけているのです。本来、学びはそのように構造化されています。(中略)
学びのプロセスに投じられた子どもは、すでに習い始めている。すでに学びの中に巻き込まれてしまっているのでなければならないのです。』
私たちは日本語を、生まれたその時から学ぼうと思って身につけているのではありませんね。日本語が自分にとって将来何かの役に立つと思って習得しようとしているわけではありません。それ(日本語)が自分の周りで語られている母語、ただそれだけで使い始め、毎日使い、自在に操れるよう習得するのです。
何でこのようなことを唐突に書いたかと申しますと、サッカーで強豪と言われるブラジルはじめ南米諸国やイングランドはじめ欧州諸国はサッカーが母語の国々です。生活の中にサッカーが母語として常に存在する社会、文化、生活なのです。サッカーをする意味を意識したり何の役に立つなどと考えたりすることなく、子どもたちは生まれたその瞬間からからサッカーに巻き込まれ、遊び、体得し、気がつけば母語のように自在にボールを足で扱うようになる、そんな国々です。
上記の内田樹流に考えれば、サッカーが母語ではない(第2、第3外国語くらいでしょうか)、習う言語、学習することの有用性を考え開始する言語(スポーツ)として日本に存在するかぎり、こうした強豪国には永遠に太刀打ちできそうもないということです。
そう思うと、エリートなんて言ってる場合じゃない、ミッションとして世界のトップ10入りを掲げているJFAはグラスルーツにもっともっと目を向ける舵をきらなくちゃ、サッカーが母語として存在する生活をどうやって創るのかに精力を傾けなくちゃと考えるのです。だからこそ、私は日本の片隅でもいい、草の根で日本のサッカーを下支えするサッカー人になりたいと思うのです。
これまで書いてきたことを踏まえれば、サッカーで世界のトップクラスである(母語である)ブラジルやイタリアはバレーボールでも世界のトップクラスだけれども、彼の国々にとってそれは母語ではない第2、第3の外国語。いくらでも勝つチャンスはいくらでもあるということです。けれども、アメリカンフットボールではアメリカに、アイスホッケーではカナダに到底適わないということなのです。
さて、先日近所の卒業生のお母様と路上で少しおしゃべりをしていました。そこへ6年生になるお子さんが友だちと一緒に自転車で勢いよく帰ってきました。自転車のカゴにはサッカーボールが入っています。「あれ?確かこの子たちは野球のチームに入って活躍しているはずだけど・・・」と思いお母様に尋ねると、「うちの子たちや友だちも遊ぶ時はなぜかいつもサッカーなんですよね。不思議なんですけど・・・」とおっしゃっていました。遊ぶ時はサッカー、少しずつサッカーの母語化は子どもたちに広がっているのかな、そんな思いで少し嬉しくなりました。
スクールマネジャー 浅見 斉
以上です。PHQの方、読んでいたらごめんなさい。ほんとは書きたいこともうちょっとあったんですけど、それはまたいつか。
春うらら【坂幼あらかると】
鬼ごっこ、楽しめましたか?中にはお友だちとゴッチンコとなってしまった子もいましたね。申し訳ありませんでした。でも、鬼ごっこは子どもたちにいいこといっぱい!これからも続けていこうと思います。
今年度一年間、大きな事故やケガもなく SKPを行うことができましたのも、たくさん遊びに来くれた子どもたちはもちろんのこと、ご一緒に遊び、見守っていただいた保護者様のおかげと心より感謝申し上げます。
最後に、キッズリーダー養成講習会でお伝えしている『なぜ鬼ごっこがいいの?』をお伝えし、今年度のSKPを終わりにしたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。4月からも「幼児のための園庭開放SKP」をどうぞよろしくお願いいたします。次年度もたくさんの地域のお子様の笑顔に会えるのを心から楽しみにお待ちしております!
【なぜ鬼ごっこがいいの?】
■子どもたちが楽しめる「遊び」であること。
■遊びの中にいろいろなステップワークや「動き」の要素があること。
■自分からの動きと、何かに反応しての動きがあること。
■「観る」ことの意識づけができること。
■いろいろな駆け引きができること。
■協力するという要素がとり入れられること。
■判断する能力を養うことができること。
■いろいろなバリエーションをオーガナイズできること。
鬼ごっこは子どもたちの体の成長にいいこといっぱいです!!
さすがだなぁ【坂幼きっず】
さーすが、浦和レッズ。子どもたちとすーぐ仲良しになってしまいました。子どもたちって、自分と仲良くなれる大人って察知するんですよね、いろんな相手の情報を目や耳や五感をフルに使って。
声質、動きのリズム、はつらつとした感じ、喜んでもらいたいという気持ちetc、そして何より笑顔とハートフルでオープンな気持ち。
逆に言うと、我々子どもたちと接したり、子どもたちの育ちに携わる大人は、こうしたことを忘れちゃいけないってこと。
先日、関東のキッズ担当者が集まるジョイントミーティングに出席しました。テーマは「キッズエリートプログラム」。キッズエリートについてはいろいろと思うこところのあるサッカーせんせいです。普及と育成は別のものと言われますが、レッズのハートフル活動を見ていると、そうは思えないのです。
なぜって、普段サッカーなんかしない女の子までもが、ほらこんなに楽しくボールを追いかけるのですから。もうサッカーをしているのですから。
永井コーチ、長井コーチ、池田コーチ、桜井コーチ、そして原田さん、当日は本当にありがとうございました。至らぬ点、多々あったぬことと思いますが、子どもたちのとびきりの笑顔に免じてどうぞお許し下さい。また遊びに来ていただける日を心待ちにしています!
こんな笑顔をされたら子どもたちはいちころです(^.^)
前日の雪で残念ながら園庭は使えず、ホールでの活動になりました。でも、ぜんぜん大丈夫。要は楽しいって「ちゃんとした場所じゃなければいけない」ってことはないってこと。
おなじみハートフルトラック。
案ずるより産むが易し【坂幼きっず】
当時から昨年まで坂戸幼稚園でもすいれん組さんは電車に乗って二駅向こうの動物園まで行っていましたが、都内までの電車遠足は美智子先生にも衝撃だったのでしょう。
ところが去年の4月、保護者様を前にした説明会で「今年のすいれんさんのお別れ遠足は電車に乗ってサンシャイン水族館まで行ってきますっ」と大宣言!
それ以来、私も、たぶん美智子先生もこの「電車」「池袋」「サンシャイン水族館」がひと時も頭から離れなかったんじゃないかと思います。それもそのはず坂戸幼稚園ではこれまで経験のない初めてのチャレンジ。「いったいどんなになるんだろう・・・」
何時何分の電車の何両目に乗って・・・、一番安全なルートは・・・、他のお客様の迷惑にならないように・・・、お昼ご飯は・・・、トイレは・・・、水族館では・・・、あれぇ帰りの電車に間に合う?などと思案しながら下見に行ってきたり、打ち合わせを重ね、本当に私たちもドキドキしながら今日のお別れ遠足を迎えました。
でも、案ずるより産むが易し。子どもたちの方がよっぽどたくましい姿で行ってきました。「うわっ、それがあったかぁ」とハプニングはたくさんありましたが、上々のお天気につられるように子どもたちの笑顔も幼稚園に帰ってくるまで絶えませんでした。
池袋の街の中、サンシャインの中、坂戸にはない人ごみの中をシャカシャカっとすばしっこく抜っていく子どもたち、繁華街に幼稚園児たちという光景に、街行く大人の皆さんもびっくりしたり、目を細ていたり。なんか映画のワンシーンのようでしたよ。
楽しかった!このすいれんさんたちとこのお別れ遠足に行けて本当によかった!「お別れ」なんて考えたくなくなった・・・。
帰園が4時30分という長い時間のお別れ遠足を私たちに、子どもたちにくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。お迎えのご協力、本当にありがとうございました。3月、卒業までの日々を、ありきたりかもしれませんが、一日一日心に刻みながら子どもたちと過ごしていきたいと思います。
行きの車中。みんな立って行くのだっ。みんなだったら大丈夫!上手に乗っていましたよ。
来たぞ池袋!サンシャイン水族館はもうすぐだ!
アシカショーも見れたし、動物パレードも見れたし。東武電車さんからは行きも帰りも予定している時間の電車に必ず乗って下さいと言われていました。私たちはけっこう時間に追われるかなぁとも思っていましたが、みんなてきぱきしているし、なんか自分に自信を持って余裕まであって、きみたちはスゴイっ。
年少さん、年中さんのお別れ遠足、すいれんさんのもっといっぱいの様子はのびのびつうしんでお届けしますね。